morry2100's blog

世界、社会、映画、本などに関して、マクロな視点で。

令和時代の憂国

f:id:morry2100:20200104115814j:plain憂国』(1966)
最近、日本の国力減退を感じることが多い。

以下色々書いてみたが、結局のところ愚痴でしかない長文となったため消去した。色々なジャンルを扱う予定が、何となく映画中心のブログとなっているため、突然社会批判など書くと違和感が強すぎる。

三島由紀夫が国を憂いて45歳で自決したのが1970年。それから50年が経とうとしている。令和時代とその先、日本が良い方向へ向かうことを、ひとり祈っている。

映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

f:id:morry2100:20190831193937j:plain f:id:morry2100:20190831194036j:plain 出典:Imdb

先日公開された、クエンティン・タランティーノ(以下QT)監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)を鑑賞した。

舞台はヒッピー文化が栄える1969年ハリウッド。ディカプリオ演じる落ち目の元西部劇スター俳優と、ブラッド・ピット演じる相棒スタントマン、そして隣人として引っ越してくる映画監督ロマン・ポランスキーとその新妻シャロン・テート。1969年8月9日の、カルト教祖のチャールズ・マンソンシャロン・テートが関わる事件については、映画鑑賞前に知っておいた方がよい。

全盛期を過ぎた女優・俳優を描いた映画なら、古くは『サンセット大通り』(1950)、最近では『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014)が思いつくが、苦悩自体は概ね同様だ。抜群な演技を見せるディカプリオの苦悩に思いを馳せるのもよし、ひたすらクールなブラッド・ピットに唸るのもよし。シャロン・テートを演じるマーゴット・ロビーもキュートかつ艶やかなのだが、大物2人には到底適わない。

公開直後なので詳細な内容は触れないが、QT作品の中では相当わかりやすく、暴力表現も少な目で、監督も9作目にして随分落ち着いたというか大衆向きだと感じた。しかし、これでも冗長、退屈、意味不明などの感想がそれなりにあるようで、若干驚いてしまった。これこそがQT映画ではないか!

いかにもな映像美、カット、映画オタク的引用・表現ばかりで、それが好きな自分としては冒頭から最後まで全く退屈せず楽しむことができた。今まではQT作品を勧めるなら『パルプ・フィクション』(1994)だったが(すでに25年前の作品…)、取っ掛かりとしては本作の方が良いのでは。

ブラックなだけでなく単純に笑える箇所も多数あり、特に最後の某場面では思わず声が漏れてしまったのだが、日本人は映画館では笑いを堪える人が多く、声を出して笑う人はごく少数。近くに中年のアメリカ人らしき観客も複数いたのだが、普通に笑いだす&笑う箇所が若干独特で、映画鑑賞文化の違いとして参考になった。

映画『チャッピー』

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ニール・ブロムカンプ監督の近未来SFアクション映画『チャッピー』(2015)。

近未来の南アフリカヨハネスブルク。犯罪率増加に頭を悩ませていた警察は、AI搭載の人間型ロボットを数十台購入、活躍を見せる。しかし、設計者である主人公は同ロボットに飽き足らず、人間の成長過程を模倣した実験的AIプログラムを密かに開発していた。しかし、その最新AIを搭載したロボットは図らずもギャング組織の手に渡ってしまう。

誕生直後の幼児性から「チャッピー」と名付けられたロボットは、ギャング達の言葉遣い・仕草を模倣して成長していく。しかし純真さはそのままで、開発者からの「銃を撃つな、犯罪をするな」という言葉を頑なに遵守する。銃を扱わせたり強盗させたいギャングと嫌がるチャッピーやり取りが愉快で、人によってはコメディ(喜劇)かと思うかもしれないが、チャッピーのあまりの純真さに、悲劇となりそうな予感も感じさせつつドラマは進行していく。

映画自体のアイデアや終盤で現れる攻撃ロボット「ムース」のデザインなど、ポール・バーホーベン監督『ロボコップ』(1987)へのオマージュが至るところに見られる。終盤には、同監督作品お馴染みの激しい戦闘が繰り広げられる。結末は賛否両論のようだが、実際、人間の脳容量は諸説あるがテラバイトからペタバイトの範囲内のはずで、今後現れるであろう高性能なUSBに収まってしまうというのは正しい。

日本人の持つ南アフリカのイメージは、同監督『第9地区』(2009)のようなスラム街だろうが、実は現在とてつもない格差社会となっており、一部の都市部の富裕層はビバリーヒルズ並みの豪邸に住んでいるという。当然富裕層を狙った犯罪が横行しており、本作のように警察は頭を悩ませている…と言いたいところだが、現実は異なり、腐敗した警察官による犯罪や汚職事件が後を絶たないため、犯罪者は野放しになっている。賄賂を渡せば何でもできると豪語する輩もいるほどだ。

アメリカ版フライヤーには、「Humanity's last hope isn't human」とある。南ア出身である監督の切なる思いが感じられる。

映画『ザ・サークル』

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ジェームズ・ポンソルト監督『ザ・サークル』(2017)は、監視社会・プライバシーの在り方を再考させられる実験を題材とした映画。原作は2013年発刊のデイヴ・エガーズの同名小説。主演はエマ・ワトソン

憧れのIT企業であるザ・サークル社にコネ入社した主人公は、凡庸であることが逆に目を引き、トム・ハンクス演じるCEOに気に入られる。主人公は彼に依頼され、無数に設置された超小型カメラ「SeeChange」で、私生活を24時間公開する初の実験モデルとなることになる。このプライバシーのない生活実験が本作の要点である。

一躍世界の有名人となり生活を共有することに快感を覚えていた主人公も、当然のことだが徐々に疲弊していくようになる。自分の視界情報は全世界に放映され、カメラがoffになる時間はトイレやシャワー中など、ごくわずかな時間しかないのだ。Facebookマーク・ザッカーバーグ氏も、一時期はSNSの普及でプライバシーはなくなっていくと予言していたが、やはり無理を感じたのか、最近になってプライバシー重視への方向転換を宣言した。

フィクションとしての着眼点は良いのだが、惜しむらくは、主人公に特記すべき魅力がないこと(美人ではあるが)。突然世界の人気者になったことに舞い上がってしまい、システム開発者からの警告も無視して会社をより暴走させ、結果として家族や親友を犠牲としてしまうことになる。

主人公の造形やストーリーが雑なせいで映画自体は酷評されているようだが、監視社会を描いた実験作品として、今後も参照の価値はあると思う。自分なら絶対に被験者になりたくはないが…。

映画『365日のシンプルライフ』

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ペトリ・ルーッカイネン監督・脚本・主演の『365日のシンプルライフ』(2014)。原題:Tavarataivas(モノ天国)。 元々はフィンランドTVのドキュメンタリーのようだが、映画としても公開された。邦題が秀逸なためずっと気になっていたが、ようやく鑑賞。

「自分の持ちモノ全てを倉庫に預ける」「1日に1個だけ倉庫から持ち帰ってくる」「1年間、続ける」「1年間、何も買わない」という4つのルールを課したペトリ監督自身による実験が始まる。

いきなり素っ裸で夜の雪の中を走り、倉庫へ最初の1個を取りに行く出オチから始まる。最初は服がないため家でも外でも全裸なのだ。序盤は順調に必要物資を1日1個を取りに行き、1個モノが増えるたび幸福度が増していく。

だが予想通り、ある時点から幸福度はそれほど変わらなくなってくる、というか1日1個を取りに行く必要性を感じなくなってくる。映像作家として仕事もしているのだが、序盤はあえて携帯電話やPCもない生活を過ごす。元々の部屋も日本人から見るとそれほどモノで溢れかえっているわけでもなく、監督はそれほど物欲がある人物ではないようだ。

しかし何も変わらないかというとそうではなく、家にはTVもPCも音楽も本もなく娯楽がないため、一人で物思いにふける様子が多々映し出される。このような時間を、あまり現代人は持っていないのではないか、という監督のメッセージと受け取った。

漠然としかイメージできない北欧ヘルシンキでの日常生活が垣間見えるのも興味深い。登場人物たちも監督の実際の友人達で、祖母の入院、彼女ができる、以外は特別大きな出来事は起こらない。サイクリングデートで自転車が必要になり、わざわざ遠方の実家まで眠っていたボロ自転車を取りに行くシーンなど笑える場面も度々ある。

バックで終始流れる、フィンランドを代表するテナーサックス奏者ティモ・ラッシーの音楽も良い雰囲気。不快な場面が全くない、一風変わった実験映画となっている。

映画『ガタカ』

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既にSFドラマ映画の名作として評価が高い、アンドリュー・ニコル監督『ガタカ』(1997)。久しぶりに再鑑賞した。

ニコル監督は、この作品のあとも、『トゥルーマン・ショー』(1988)の脚本、『ターミナル』(2004)の原案・総指揮、『TIME/タイム』(2011)の監督を務めるなど、優れた作品群を世に出している。主演はイーサン・ホーク、助演にジュード・ロウユマ・サーマンが好演。

人工授精・遺伝子操作で能力の高い人間の誕生が当然となった近未来。自然交配の結果、虚弱体質・短寿命の「不適正者」として生まれた主人公は、「適正者」に成りすまして、エリートのみが入局を許可される宇宙局「ガタカ」に潜入し、幼少時からの夢である宇宙飛行士を目指す。

「不適正者」が紛れていないかどうかを調べるため、「ガタカ」では執拗なまでの検査が日常的に行われているのだが、協力者からの血液・尿・頭髪などの生体サンプルを駆使して、様々な方法で次々と検査をパスしていく。最初は感心するのだが、徐々に生まれながらのハンデを持ちながら夢を目指す主人公の知恵・努力・忍耐力が、感心を超えて涙ぐましくなってくる。

将来を嘱望された「適正者」だったが半身不随となったジュード・ロウ演じる協力者との友情、「適正者」である弟との関係性、終盤に明らかになる意外な理解者など、ドラマ的な見所は他にも非常に多い。イギリス出身のジュード・ロウはそれまで舞台が中心で、本格的な映画出演はほぼ初めてだったらしいが、端正なルックスで既にかなりの存在感を放っている。ユマ・サーマンの美貌も映画に華を添えている(1年後イーサン・ホークと結婚したがのちに離婚)。

DNAを模した螺旋階段が度々現れるなど、低予算ながら建築物や室内などの練られた近未来映像美も見逃せない。既に20年以上前の作品だが、少なくとも現時点古さは感じられなかった。出演者や製作者たちは、現在でもこの作品に多大な誇りと愛情を持っているようで、名作の名に相応しい映画となっている。

映画『クラウド・アトラス』

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映画『クラウド・アトラス』(2012)は、デイビット・ミッチェルの同名小説(2004)を原作とした、6つの異なる時代のストーリーを絡めた、壮大なSFドラマ作品。

1849年、2144年、2321年の物語を『マトリックス』のウォシャウスキー姉弟(現在は両者ともにも性転換し姉妹)が監督、1936年、1973年、2012年の物語を『ラン・ローラ・ラン』(1998)のトム・ティクヴァが監督。トム・ハンクスジム・スタージェスベン・ウィショーハル・ベリーヒューゴ・ウィーヴィングぺ・ドゥナなど多数出演した大作映画となっている。一部残酷シーンが含まれており日本ではR15+指定。

メインの俳優陣は異なる時代で複数の役を演じており、wikiや解説サイトを見ると面白いのだが、特殊メイクの多用もあり、正直同じ人物が演じていたとは全く気付かない場面も多い(良いのか?)。ぺ・ドュナ演じる、2144年のクローン少女・ソンミ451とその物語が特に印象的。小説や映画でのクローン技術は、碌な使い方をされないのが常である。

異なる6つの時代の異なる物語を商業的映画の中で描くという、壮大な意欲作で、当然ながら165分という大作となっている。しかしながら興業的には全く振るわなかったようで、主だった受賞もなし。失敗大作映画との評価であろうが、作り方によっては名作に成り得たと思っている、非常に惜しい作品でもある。

まず、各時代に繋がりはあるものの取って付けたような印象で、必然性があるようには思えないのが弱い。また、原作は未読なので見当違いかもしれないが、少なくとも映画版では、同じ配役が異なる時代で演じている人物の間に、明らかな関連性が見いだせない。原作内で特に関連のない人物に同じ役者を当てているのであれば、逆に見る人の混乱を招くだけである。

「輪廻転生」的世界観が染みついている日本人としては、前世からの積み重ねを期待してしまうが、本作では前の時代での善行・悪行が次の時代に影響を与えている印象は特になく、また、同じような才能を別の時代で発揮していることもない。その点も物足りなく感じる一因であろう。原作ではニーチェの「永劫回帰」が度々語られるようなので、その意味では一回の生はそれで終わり、という本作のつくりで正解なのだろうが…。